香人雑記

2006−2014

つれづれなるままに、ぼんやり書いてます。

[不定期更新]

*

2014/7/1

銘香オークション

ネットオークションでは、「銘香」に骨董的価値が付けられて取引されています。

ネットオークションが盛んになって、香木も東南アジアからの直輸入品が国内を席巻した時期がありました。しかし、取扱い業者が未熟なこともあり、その品質は玉石混交で、その多くは「銀葉」に載せるにふさわしいものではなく、線香の材料にしかならないものでした。また、一部では「伽羅」と謳った「沈香」も多くあり、業者は騙すつもりは無くとも原産国では「伽羅は高く売れる」ことを知っているバイヤーが「キャラ」「キャラ」と売りつけてしまうのですから、防ぎようがなかったのかもしれません。

そのような中、香木のオークション市場では「国内に死蔵された古い香木を発掘した方が良い商売になるのでは?」と気付いた古物商さんと「こちらの方が、品質が良くリスクも低いのでは?」と気付いた香人さんとの間で盛んに取引が行われるようになりました。

私が香道をはじめた自分は、伽羅は1グラムあたり4,500円からあり、宗家・家元の銘付でも10,000円位でした。それがいつしか15,000円になり、最近気付くと無銘の伽羅でも30,000円とか・・・。真南蛮、羅国、真那賀、寸聞多羅、佐曽羅は1グラムあたり3,000円ぐらいでしたのに、今では10,000円らしいです。昔も変わらず金より高価だったのですが、これから香道を志し、香木を集めようとする方は大変だなと思いました。

香木は、アラブの大富豪や中国の振興富裕層がキロ単位で買い込んでは、置香炉で焚いて消費するばかりか、この頃は投資対象にもされていることから、産出国にとっては樹脂比率のランクさえ分かれば「本当に良質の香木を少量選りすぐる」必要もなくなったのかもしれません。真面目な香舗が廃業を考えるほど、本当に「聞香用」に使える品質ものは少なくなりました。現在では、命銘に値する品質ものが無くなったことと命銘に値する香木があっても分量が取れないことなどから、なかなか家元や宗家好みの「銘香」も少なくなってきました。

昭和の後半までは、まだベトナム戦争前の香木が使われていましたので、稽古用の香木でもとても良い香りがしました。その後、枯葉剤の影響でバクテリアが変成し、香木も「大人しく清しく」香るものが少なくなったことを当時の門人たちといぶかしく感じていたものです。

いずれ、香木は生産できない貴重な天然資源ですので「今あるもの」を切り分けて使わなくてはなりません。そしてなによりも「道」を悟らせるものは「香気」以外にはありません。ネットオークションという今様の取引で、品質の良かった時代の香木がもう一度日の目を見て、先達から新たな香人の手に渡り、少しずつ拡散と集約を続けていくという継承形態も香道にとっては必要なのかもしれません。

何十年後かに見るのを楽しみに、最近取引された銘香の価格を一覧にして残したいと思います。

 

2012/4/4

香りの柔軟剤

近頃、「香りの柔軟剤」が横行し、その賛否が議論伯仲しています。

 現在、流行の「香りの柔軟剤」は、部屋干しの匂いを消す目的から派生して、今では積極的にその香りを周囲に発散する目的で使われるようになりました。調べてみますと、外国製の香りの強い物から日本製の穏やかな物まで、商品名を上げれば枚挙に暇がないほどなのですが、「強い香りで乾燥後も香りを残すタイプ」「カプセルを付着させて香りを残すタイプ」があるようです。

 賛成派は、「良い香りですね」と言われたことに気を良くして、増々エスカレートしていくようですが、反対派の意見は多岐にわたります。

 曰く、「部屋干しすると香りの強さで酔った。」「小学生の娘が『香水を付けている』と注意された。」「中学生の男子は『おばさんの臭いがする』といじめられた。」「隣から『ベランダや玄関が臭い』と注意された。」等々、主婦の皆さんのアロマ好きが嵩じて家庭に持ち込まれた「キッチュな香り」は、様々な立場にある家族にとって必ずしもハッピーではない結果を伴う場合もあるようです。

 先日、ある香席で「香りの柔軟財を使用していた方が連客の方に明け透けに疎まれた」というトラブルがあったようです。もともと「香席法度」「香りは纏わない」ことが原則となっている世界ですから、私は「香人は香りがしないもの」と信じていましたが、ご時世では、もう通用しなくなったのかと寂しい思いがしました。

 確かに、日常的に「香りのする衣類」を着ている方が「香水はつけていないから」と香席に入ってくることはあり得ることです。これは、「樟脳の香りが抜けていない着物」を着てくる方と同様、本人の自覚以外に避ける方法は無いと思います。しかし、このトラブルの最も忌むべき点は「あなたは臭いから席に入るべきでは無い」と席中で言った連客の方々かもしれません。少なくとも「雅の席」で人を疎む言動をすることは、その方の品位も落としめることとなるでしょう。

 嗅覚というものは、強い香りに対して「対数的」に順応し、その香りを無かったことにしてしまいます。そのため、「その香りに近い香り」もわからなくなりますので、「香人」として、森羅万象の香りを楽しみつつ、聞き分ける精進を続けるためには、日常的にニュートラルな香り環境で暮らすのが一番かと思います。

「追風用意」も雅人の嗜みの一つですが・・・

そこはかとなく香る程度にした方が、その方の印象も上がるかと思います。

いずれ、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」ですね。

 

2007/8/1

練香スパイラル

先日、あるお坊さんから「バイオダイナミック農法」について講釈をいただき、1つの啓示を受けました。

「バイオダイナミック農法」とは、太陽や月、星々の運行が生み出す宇宙のリズムに併せて、畑作と家畜の飼育をすることによって、地球とすべての生命を癒すための農業スタイルです。農法の特徴は、農薬や化学肥料を一切使わず、鉱物、植物、動物から特別な方法によって作られ調合剤を使うところです。

この「調合剤」は、牛糞、水晶、各種ハーブを主成分とするものなど様々あり、それぞれの用途に分けて使用します。製法は「牛角に水晶を詰めて土に埋める」「牡鹿の膀胱にノコギリソウを詰めて埋める」「雌牛の小腸にカモミールを詰めて埋める」など・・・若干「魔術的」な匂いのするところが私の琴線に触れました。

これらの調合剤は、土から取り出された後、樽に水を入れて渦巻き状にかき混ぜます。その渦巻きを壊すように、反対の渦巻きを作る「ダイナミゼーション」という工程を1時間ほど経ると、調合剤に内包された宇宙の力が水の中に放射されていくのだそうです。そうして、この水を内側から外側に弧を描くように柄杓で畑に撒きます。

お坊さんの曰く、この「かき混ぜ」や「水撒き」「播種」のような行為は、全てスパイラル運動で、それは宇宙のエネルギーを呼び込む所作であり、これを土に戻すことは、宇宙のエネルギーを地球に投入して、天と地の脈を繋げることなのだそうです。

この話を聞いて、私はすぐに錬香づくりの「乳鉢で擂る」→「土中に埋める」という行為にイメージを重ねていました。

今まで私は、香料を調合することは、最も独創性と作為性を持った行為であり、香料で描いた絵画を「乳鉢で擂る」という行為は、さらに「自念を入れる」作業だと意識していました。それでいて、練香の完成には「土中に埋める」ことによって低温・高湿の環境下で「熟成」させるという過程が必要です。この期間に自然の不思議を取り入れることになりますから、多くの「偶発性」を孕むことは避けて通れないので、自分の作ったイメージと異なるものが掘り出されるから面白いとも理解していました。この「超作為的な行為」と「偶発的な行為」に2段階で成されるものが「錬香」なのだという説は、それなりに皆さんの支持を受けており、今でも「昔の人は、自己のアイデンティティとして、間違いなく自念を入れたよな。」と思っています。(伝書の多くは「○千回搗く」と描いてあるのでスパイラル運動はしていませんし・・・)

しかし、今回「乳鉢のスパイラル運動」が「個人の作為的な行為」ではなく「神の見えざる手で作らせられている」と考えれば、練香に内包されるものの質が変わってきます。「乳鉢で擂る」際の「無心」な行為は、「自念注入」ではなく、「天の力を取り入れる」と考えた方が、練香のためにも良いのではないかと考えました。「自念」程度の小さなエネルギーならば、「地」に吸い込まれて、掘り出された時には無くなっているかもしれません。それよりも「天の力を地に返し、天地の同期・共鳴の中で練香が熟成する。」と考えた方が、練香そのものの品格も上がるような気がします。

練香を「個人の創造物」という観点から開放して、「天地の創造物」としてあげることは、作者にとって一抹の寂しさは伴いますが、子供の出世を願う親心のようなものかもしれません。今年の秋、私は「天」意識し、「自」を滅した練香を作ってみようと思っています。

 

皆さんもコーヒー豆を挽いたりするところから「スパイラル運動」を意識してみると・・・

意外に「美味しく」なるかもしれませんよ。

 

2007/1/15

鼻が利かない

読者の方から「嗅覚が鈍感ですので、なかなか聞き中てることができません。」というお悩みのご相談をいただきました。

「五味六国」を極めた米川常伯の「百発百中!」が伝説のようになり、「良い香人=嗅覚が敏感で利き外しがない。」という価値観も一般化しているのでしょうが、これは香木を鑑定して商売をされる「香木屋」に求められる技量であって、必ずしも「香道人」に必要な能力ではないと思います。(勿論、有るにこしたことはありませんが・・・。)

覚は、「湿式センサー」なので、化粧品のフレグランス、食品のフレーバー、タバコ、排気ガス等に囲まれた生活環境や生活習慣によって、「味の濃いものを食べて育つと薄味がわからなくなる味覚」のように、鈍感になることもあるようです。さらには、動物学的にも36歳をピークに徐々に衰え始める大変劣化しやすい感覚だと言われていますから、多くの香道人は既に鋭敏な嗅覚を以って道に励んでいる訳ではないことをまず認めざるを得ませんね。

本来、「香道」というものは、(より高位の式法を知るに足る人間になるための)「香に纏わる素養を身に着ける」ことが第一目的で、「組香」という聞き当てゲームの当否は興を増すための手段として使われているに過ぎません。昔の伝書であれば、「組香は、香道の真意に導くために女童が飽きないようにやっているだけ。」と大変申しにくいことが書いてあり、「香道=組香」ではないことを厳然と明記しています。組香に関しても、「香を聞き当てることが最終目的」ではなく、証歌を鑑賞し、亭主の趣向を味わい、香気による心象風景を結び、和歌を詠み、最後には香記に現れた組香全体の景色を心に描きます。このように「観念の美」を楽しむことにおいては「○×」は単なる「景色」に過ぎないと思います。

また、「雅」や「侘」の世界では、かえって「完全でないこと」が「上品」と評価されることもあります。そのためにわざと利き外して香記に景色を作ったり、遠方からいらした初心の方に香記を譲るように心を配ったりする香道人も少なからずいますので、「点数=香道人としての優劣」ということも一概には言えません。私の香席ではよく言うのですが、同種同数の香木を聞いて、心に描いて持ち帰る「景色というお土産」の大小が本当の勝負だと思います。

その上で、「嗅覚が鈍い」ために「毎回惨憺たる点数で恥を書いている」と悩んでいる方がいらっしゃれば、その方には「香道は向かないよ」と言ってあげたほうが救いになるかもしれません。一方、答えは当たらなくとも「一木、一木の香の違いは分かり、その度に心に景色が現れる」という方でしたら、これは「香人としての立派な資格がある」と言えるでしょう。むしろ、聞き当てるために「材木屋」(木筋や木色を見て判別すること)をやってしまって、「香りが分かっても何一つ心象風景が結べない」という方が「最もむなしい」と思います。

流派にもよりますが、基本的には「香りは教えずに自分で覚えるもの」となっています。それは、右脳に溜まっている個人の体験がそれぞれ違うため、性別・世代・出身地等、あらゆる個人属性によって香りは隔てられ、同じ香を聞いても違った印象を持つからです。また、昔のように「黄檗を焼いたような・・・」と教えても、今では樹木を焼く経験すら稀有となっており、実体験を共有しない限り、香の印象を共有することも大変難しくなっています。

結局は、鈍感は鈍感なりに香を聞き込んで、「自分なりの香気スケール」を作り上げなければなりません。このスケールが出来上がれば、どんなに目盛が粗い人でも、7種の香木ぐらいは判別できるようになっているはずです。「香道人」は香を組み、鑑賞するだけですから、「パヒューマー」や「フレーバリスト」、「香木屋」のようにそれほど細かい閾値(しきいち)の香気スケールを持つ必要は無いと思います。そのためにも、焦らずに「最低一年はお客さん扱いで聞くだけ」という稽古をした方がよろしいかと思います。

確かに「当たらない」「当たらない」と辞めて行く方は数多く見てきましたが、人に見せる「○×」に頓着する方は「そこまでの方」と言うことで誰も無理に引き止めたりはしませんでした。結局は、「香を聞くことによって自分が心に描く風景」が最も大事で、この風景を豊かに描くだめの知識・素養を磨くことが先決だと思います。

 

内省的かも知れませんが、「香は自分の嗜み」です。

ランキングテストではないので、結果は「自分の満足度」で評価すればよろしいかと思います。

2006/10/1

「ウサギ」の謎

現在、『御家流百ヶ条口授伝』終盤に差し掛かっています

そこで、「新しい言葉」に出会い、読み解きはそのまま進められるものの「積年の疑問」の種になりそうですので、「公開質問」として掲載させていただきます。

『御家流百ヶ条口授伝』  

 八十九 薫物調合の事  

[中略] 

の事

 いかにも古きにしくわなし。塵式黒き物をえ()り、捨て、火に干して用いるなり。

の事

 鍋炭のはなを取りて能く炒り、火の通りたる時、壷へ入れ、火を消し、さめたる時炒りかえし、前の通りにするなり。尤も、六、七度に及んで、能く能く摺りてきぬふるいにてふるい、梅花には「梅の木の霜」を幾度も*柱(焼)きかえして用いるなり。

蜜の事

 黒みつを鍋に移し、外の鍋の中に石を「三つがなわ」に置きて、その上に蜜を掛けて、 水能き程に入れ、湯煎にして炒()る。泡を去りてさまし遣う。白蜜は宜しきはよし。 蜂蜜は用いず。

  ( )は、別書の表記から補筆

 上記の記述について、「蜜」は「蜜」で間違いなし「烏」は「煤」だと思うのですが・・・「鷺」とは何かご存知でしょうか? これらは、『薫集類抄』() 巻359 「むくさのたね」に同様の記述がありますが、「鷺」だけは、その文脈からも検討がつきません。 黒いものは「烏」、白いものは「鷺」の喩えだとは思うのですが、練香の調合に基本的に使う「白い素材」とは何でしょう?

『薫集類抄』

烏鷺蜜両目の事

 梅花  烏 十匁   鷺 十匁   蜜 弐拾六匁

 荷葉  同 十五匁  同 十弐匁  同 四拾匁

 菊花  烏 五匁   鷺 五匁   蜜 五匁

 落葉  同 十匁   同 十匁   同 弐拾六匁

 侍従  同 十匁   同 十匁   同 弐拾六匁

 黒方  同 十弐匁  同 十弐匁  同 三拾匁

重ねたる香具を物に入れ、能くくだき、その内へ烏鷺をうち入れ、打ち返し、 幾度も能く交ぜて、その内へ蜜を入れて、箸にていかにも細かにくだきて、 一夜を経て、臼にて搗くべし。 何れも杵の数三千きねつくべし。菊花は千五百杵搗くべし・・・。

 以上のように「烏」と「鷺」は大抵同量を用いるものらしいのです。さらに、この記述の前段には香料ごとのレシピが掲載されていますので、「烏・鷺・蜜」は香料とは別に「練香のベース」として作り加えたもののようです。

 結局、諸本を読み漁りましたが「烏鷺」が掲載されていても、その説明が書かれたものは出てきませんでした。

 現在、ネット香人から出された説は、まず、茶道の例に倣った「にごり酒」説は、煤と同量では分量が多すぎるので却下。次に、保香剤の「貝粉」説は「甲香」として香料扱いとなっているため除外。最後に、香りに影響を与えない防腐剤としての「塩」説は、中古時代の製法に劇的な変化をもたらす新設となるため検証中ということで、まだ有力な説は出て来ていません。

 そのようなわけで、もしご存知の方がいらっしゃったら、掲示板でもメールでも構いませんので、是非お教え ください。

 しかし、素材を鳥の名に変えるとは、さすが「雅の技」ですね。

これなら、秘儀も守れそうです。

「鷺」の謎について

2006.10.21
 『香道記』(宮内庁書陵部蔵)では「すミしほのかげんハ大かた両ほう同じほどに入候。その内すミのすくなきハ、後にかびに成申さず候ゆへすミハ少すくなく入候。すミさきへ入、後にしほ入候てよくまぜ、さて蜜入申候」
後に「一、すミハ御□所より取寄くろものゝすミなり」「一、しほハ成程白キかろき花汐よろし」「此二色もこまかにおろす」という記載があるとの情報をいただきました。

2006.10.21
 『御家流百ヶ條口授傳』(個人蔵)には、「鷺」について「烏賊(コウイカ)の甲」ととしている記載があるとの情報をいただきました。

2014.8.21
 『台湾に生育すべき熱帯林木調査』(東京帝国大学農学部附属演習林 編)−薬木香木類の2−p199に「鷺とは、古き鹽(塩)にして、如何にも古き程可なりと云ふ。黒き物を炒りて、日干しして用う。」と記載があるとの情報をいただきました。
 本件は「鷺⇒塩」が有力な説と言えそうです。

 −情報有難うございました。−

              

2006/8/1

香木プランテーション

先日「タイつながり」というブログに「或る裕福なお坊ちゃまの熱弁」として、タイの香木ビジネスが紹介されているのを発見しました。

書込みの内容から香木については、ほとんど素人の方が書いているようなので、まんざらウソではない気がします。ただし、これを裏付けるような同様の情報はネット上からは見つかりませんでしたので、トピックスとしてご笑覧ください。

曰く・・・

今まで、「伽羅木は百年かかって熟成する」という事実に気を取られて、香木の植林事業のことを日本の林業サイクルで考えていましたので、「植えてから6年で何がしかの香木が収穫できる」というところが大きな驚きでした。これならば、香木も「森林資源」としてではなく、「農業生産物」として生産できるという実感が湧きます。流石熱帯雨林です。

さて、1本の木から、400gしか樹脂分は取れないらしいですが、最大値での皮算用をすると・・・

1ライの土地から400g×368本=147.2kg

×6万B(AAA+)883万2千 (バーツ)

→×3(為替レート)⇒約2,649万6千円というタイのGNPにとっては巨額なビジネスとなります。

土地を6ライ持っていれば、毎年収穫が期待出来るので、まさに「沈香プランテーション」が経営できることになりますね。

ただし、沈香樹はワシントン条約の関係で1本1本政府に登録されていて、品質の管理や認定が行われているらしい(つまりは、オフィサーとのコネのある名家であることが必要か?)ですし、タイでは国内法により、外国人が土地を所有することはできませんので、おいそれと日本人が起業できる訳ではないのでご注意を!(出資は歓迎?)

ワシントン条約が厳しくなっていく一方で、「香木が生産される」ということは、大量消費国の日本にとって歓迎すべきことですが、その1つ上行く「香人」の嗜好に叶った品質の伽羅や沈香となると、状況は変わらないのかもしれません。

 近頃は、香木鑑定ボランティアに持ち込まれる香木の中にも笑止千万のものが多く、「民芸品」としか鑑定できないものもあります。「旅の思い出」なら、まぁ結構ですが、素人さんが「日本で香木は高く売れる」と思い込んで、リスクを犯して「禁輸品」持ち込んでも「百害あって一利なし」です。「笹物をボンドでくっ付けて大きく見せたもの」「樹脂の無い木部を焼いたり染めたりして姿木に見せたもの」「薄めた沈香油につけて鉛を入れたもの」・・・一攫千金を目指すなら、せめてこのぐらいは見破る眼力を養いましょうね。

近年の「和の癒しブーム」もあって、価格急上昇中の沈香ですが・・・

輸入数量は昨年を底に本年は若干持ち直しています。

日本の年間消費量を賄うには、こんなプランテーションがいくつあればよいのでしょうか?

 

2006/6/1

指輪と手水

香席で綺麗な着物の香元さんが「指輪」をしたまま、香炉や重香合をカチカチ言わせながらお手前をしている姿を見るようになりました。

このような時、修行の行きどかない私は、「香炉が磁器だから痛み分けかなぁ」とか「重香合は塗物だから指輪の勝ちだよなぁ。」指輪と香道具の勝負の行く末に気もそぞろになってしまいます。

確かに、現在一部の香道流派では、指輪等の宝飾品の着用はご法度ではないようです。昭和時代に香席が一部上流階級による「貴人サロン」だった頃、「宝飾品付き」の香席が当たり前に行われていたため、「先達のしきたり」として定着したものと思われます。しかし、古美術や塗物を扱う芸道において、漆よりも堅いものを身につけることが果たして許されるのかという疑問が生まれ、少し時代を遡って調べてみることにしました。

まず、「指輪」というものが無い時代の伝書には、端的に「指輪を外せ。」等、規矩となる記述がありません。そこで、代替キーワードとなるのは「手水(ちょうず)」という清めの儀式ではないかと思いました。

「手水」に関して、『御家流香道要略集』では、その「組香稽古口授伝」の中に・・・

一 稽古といえども、兼て法度の義は、勿論、香席連座候前、手水の事、努々失念至す間敷なり。

一 香中、つばき、鼻かみ候は、次の間に退き、必ず手水致し、座に入る申すべき候なり。

・・・とあり、稽古時にも手水に関する決まりがあったことが記載されています。

また、『連理傅』の「連理香業式作法」の中にも「さて、一座手水済みて、連座円く座すべし。香元人、執筆人は、相並びて方に座すべし。此の時、香元人、床の盆をおろし。香本座の向こうに置く。・・・」 とあり、その他「伝授の香会式法」をはじめ「御家流香会之式」や「百*柱香会之式」等でも、「手水を使って、本座に入る」ことは共通のお作法となっています。

「手水」は、ご存知のとおり「不浄を洗い落とし、手の移り香を除去する」という実利的な効果と「精神的に清めて心改まる」という精神的な結界の意味があります。現代でも茶道であれば当たり前に行われている作法で、流派によっては、お手前の前に「せめて埃だけでも・・・」と手の甲を包み合うように摺り合わせる「空手水(からちょうず)」という儀式化した所作もあるほどです。 それ故私は、いかに現代であっても「席入り前に手水を使うことを知っている程の巧者の手に指輪が残る筈はない。」と考えるのです。

香道創生期から江戸時代までは、指輪は無かったでしょうし、明治期の香道は茶人が支えていたところもありますので、「手水」に関して同様の精神文化があったものと考えます。そうだとすれば、指輪が手に残ったのは、昭和時代の復興期以降の事であり、茶道とともに培った四百年の精神文化を「先代もやっていたから」とか、敢えて茶道との差別化を図るために「雅道なので宝飾品はつけたままするのだ」一気に正統と結論付けるのは、時期尚早のような気がします。

できれば、茶道と同様に稽古中から宝飾品を外す癖をつける方が、日本人として美しいと思うのは私だけでしょうか?

既婚者の皆さんは外すのをためらわれるかもしれませんが

「結婚指輪は許容される」という現代ルールもありますので・・・

「愛」ですものね。(~_~)

 

2006/3/12

修行は山登り

昨年の山伏修行で会得したことを、今年の「事始香」で、こんな喩え話にしてみました。人生とも通じる話かもしれませんね。

最初に香道を志した人は、裾野の草むらから歩き始めます。山の入り口は見えているのですが、道がはっきりわかりません。そこで、先人の辿った踏み跡を見つけては、一歩一歩確実に「踏襲」します。踏み跡を見つけるために下ばかり見ているので、なかなか目先の目標すら見出せずに、たまに顔を上げては、とにかく山の入り口を目指します。

山の入り口に入ると、ここで香人として認められます。正式な「入門」はここからです。広葉樹林の雑木林は、細い道が行く筋も付いています。木々も密集しているので目先の目算は立ちません。その中で、いろいろな道を行きつ・・・戻りつ・・・しながら「迷う」のですが、これが「求道」なのでしょう。この時歩んだ道のりが、後に人間の幅や素養となるので、必ずしも最短距離を進むことが香人としての幸せではありません。たまには、迷い込んだ先のほうが魅力的に思え、そのまま別の山に行ってしまう人もあるのが、この時期です。この雑木林にも必ず「本線」というものがあり、なるべくたくさんの時間と労力を掛けて本線に戻って来た人には、「上に進む体力と気力」が備わっていることになります。

広葉樹林帯を抜けると、そこは杉林のような針葉樹林となります。そこには、既にハッキリとした道があり、下草も生えていないので、次の林への出口も見通すことが出来ます。しかし、せっかく、どこを通っても行き着く先が同じなら、自分の道を進むことも自由です。人により本線と自分の道の距離感が異なりますが、下草の無いところに踏み入って、自分なりの風景を楽しみながら、次の林へ向かいましょう。そうすると、また、同じような林が数箇所あることもありますが、どんどん大胆に未踏の地に分け入ることができるようになります。おそらくはこれが「究道」で、ここまでくると「迷い」はなくなり、「楽しみ」が増えてくるでしょう。

針葉樹林を抜けると、今度は岩山となり、もう頂上も見えてきます。このとき初めて、人は「高く登ると道は開け、そして道のりは遠く見える」という芸道に対する謙虚な気持ちが現れるでしょう。自分の来た道のりも見通すことができるので、自信も沸いてきます。岩山では、道を踏み外さないよう、しっかりした石を見つけて一歩一歩登り、苦しいと思った時は、そこで小休止します。苦しさの極限に達するところに限って綺麗な高山植物の花々が咲いていて元気づけてくれるものです。そのタイミングの良さは絶妙なもので、自然への畏敬の念も生まれ、「山岳信仰の真髄もこんなところにあるのでは」という気にもなります。

最後に、山頂には、おそらく黄金の社が建立され、「金○○○万円の領収書」が巻物になって置いてあるのかもしれません。しかし、これは到達の証に過ぎず、全ての結実を示すものではありません。最も重要なものは、その体験を生かし切った香道人生を歩み続けることです。

皆さんが今「蓬莱山」の何合目を歩いているのかわかりませんが、一歩一歩、楽しみつつ、喜びつつ歩まれることを祈念しています。

 

短期間の「厳しい修行と学習」では人間は変わらないことを実感しています。

社中の後輩たちをまとめて、長い間「滅私奉公」してきた経験のある師匠の度量と教養には敵いません。

そんなところにも完全相伝の意義があるのかもしれませんね。

 

2006/1/1

これからもイノセント

 「香筵雅遊」を開設して9回目の正月を迎えました。毎月書き溜めた「今月の組香」も今年中には96組目になる予定です。無為に「癖」で長くやってきたコラムでも、100組近くになれば、なんらかのお役に立ったのでしょうか?

 今月の組香のコラムのために『礼記』を読んでいましたら、昔の中国人が「礼」という社会規範をとても大切にしていることがわかりました。まず「自身を損なうことは、両親を損なうことであり、例えば木の幹を傷付け、後に枝葉が朽ち果てていくようなもの」という「自身尊重」の考え方があり、君子も家来も、その小作の農民も「我」「妻」「子」それぞれが、社会と家庭で与えられた「役割」「面子」を最大限に守り、尊重しあうことで「天下の正道」が形成されていたことがわかります。

こうした社会感に当てはめて考えてみると、私の生来の役回りというものは、どんな組織においても軍臣(セカンドパーソン)」的なもののような気がします。そんな「軍臣」が野に下り「浪人」となったことで、一時は「徒党を組んで一流を起すのではないか?」とか「無益な情報公開によって香道界に災いをなすのではないか?」とまで思われていたようですが、9年間の歳月によって私の「安全性」「信頼性」だけは皆様にご認識いただいたようです。

実際、私自身としても「香人」(仕官を望んでいないので「浪人」ではありません。)というステータスを「かもめのジョナサン」のように非常に自由で気持ちの良いものと感じています。独りで雲の上まで行って見聞きしたことや遠くまで飛んでそこで出合った人々から教えられたことを浜辺に戻って皆に話すと、人によっては篤く用いられ、或いは猜疑心や監視の目だけくれられ・・・そこには自分の座標が三次元で行ったり来たりするおもしろさがあります。また、伺った先によって「賓客」にでも「乞食」にでもなれる立場というのもすばらしく、日向や日陰に交々座ることで、相手方の求道精神が客観的に判断できますし、自分のアイデンティティを再構築する契機ともなります。特に無視や批判に晒されることは、増長した部分を淘汰し、生身の自分に戻り、身の丈を測り直すためには大切な禊だと思っています。

私は、ネット上の活動で御厚情をいただいた方について特段の取り扱いを申し上げることはありますが、私の存在を快しとされない方々についてもマイナスとなることは一切いたしません。それは、私自身がHPの運営以前に「インターネットに負のエネルギーを持ち込まない。持ち込ませない。」という、信念に貫かれているからです。(そのためには、懇意にしていただいている読者の方に苦言を申し述べることも辞さない覚悟であることは、ご存知の方も多いかと・・・)

そのようなわけで、今年も組織論は全く気にせず、流派を超えた「すべての香聞きの方」のために初日の出のような暖かい光を注ぎ続けたいと思っていますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

孔子曰「非道の者」とは・・・

「利を好んで限りがなく、悪徳に浸ってとどめが無く、怠惰傲慢で、人民には過酷にして奪いつくし、

多数の意思に逆らって正道の者を苦しめ、欲望を満たそうとして不当の法を用いる」

(『礼記』哀公問第二十七より)

 

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